読書

圧倒的に凄い人とだなと感じたときの気持ち

本を読んでいると、この著者は圧倒的に凄いなという人がいます。

作家として、情報発信者として、実績はもちろん普段やっている行動、今にいたるまでのバックグラウンドが凄すぎて、この人みたいになるのは無理かもしれない。

 

と頭の中で声が聞こえてくる人というのがいます。

 

このブログで本の感想を書いてきた人でいえば、樺沢紫苑さん、佐藤優さん、小宮一慶さん、ちきりんさんなど、圧倒的なバックグラウンドを通じて今、情報のインプットとアウトプットをものすごい質・量ともにこなして、成果を出していて凄いなと感じます。

 

自分の中で、そういう作家の人、情報発信をする人に憧れがあって、そうなりたいと思う気持ちがありつつも、この人と自分は違うんだという気持ちもできてます。それは当然で実際に違うのです(笑)

 

そして、そこで比較をする必要もなくて、その人のようになる必要もなく、ただ自分は自分にできる発信をして、自分に学べることを学び、自分なりのバックグラウンドを通じてインプットとアウトプットを行い、それが将来的によりバージョンアップしていくのかなと感じています。

 

この人、凄すぎる。こうなりたいけどなれない、無理だ。自分には才能がない。って感じてしまうのは、そもそもその人と比較してしまっているんですよね。

 

逆に凄い人というのは、その人を凄くさせている何かが必ずあって、真似して取り入れることができるものもあります。真似できる部分は真似をして、できない部分に関しては自分なりのやり方を作り上げていく。

 

そうやって、圧倒的に凄いなという人を刺激にして行動をしていくと楽しいなと最近は思っています。

 

例えば野球のイチロー選手とか、将棋の羽生善治さんとか最近では中学生棋士で連勝中で注目されている藤井聡太さんとか凄いは凄いと思うんですけど、この人みたいにはなれないなとか、うらやましいなとか、そういう気持ちは感じないんですよね。

 

自分と目指す方向性やジャンルがあまりにも違い過ぎると、そこまでの憧れって出てこないもんなのでしょうね。